今日は趣味の話ー古典文学ー徒然草(5)古人との語らい📚

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《第13段》 ひとり燈のもとに文をひろげて見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

いにしへのは、あはれなること多かり。
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ああ、兼好さんもそうだったのね…
この段を読んで、兼好さんをぐっと身近に感じました。

と、言うよりも… かつての日本人は古典に精通しているのが当たり前であったそうです。
平安時代の貴族たちは、古事記、日本書紀、万葉集、古今和歌集を、スラスラと暗誦できることが素養の一つであり、且つ出世の条件だったと思われます。
兼好さんは、鎌倉時代から室町時代にかけての学者ですが、古典に精通していることが教養と能力を示す絶対条件であることは、平安時代から変わらぬ概念なのでしょう。
その概念は江戸時代になっても変わらず、松尾芭蕉なども古典からの引用を敢えて崩すということをしていると言います。
詠む方もそれを心得ていて、その意外性を楽しんでいたとのこと。
日本人ってすごいな。
これが歴史を持つ国の素晴らしさなのだなぁ…としみじみ思うのです。

兼好さんはこの時、老子の書物などを読んでいたようです。老子と言うと中国の春秋戦国時代の哲学者。
ああそうか。漢語を思いのままに操ることも教養とされていましたもんね。

でもこの時の兼好さんの言葉は、教養を身につけるために読んでいる感じはなくて、心から古典を楽しんでいる感じ。
この脱力感も、とっても好き😊

兼好さんが『昔のものは良いなぁ…』と書いたものを、約600年後の私が今読んで『昔のものは良いなぁ』と思っている。
その途中にも同じように『昔のものは良いなぁ』と思っていた人が沢山いてバトンを渡すように現代に残っている。
それを思うと、奇跡的なような、ロマンチックなような、不思議な気持ちになります。

そして古典の言葉の響き。
まるで音楽を聞いているかのよう。
心の深いところに届く音。
日本人に生まれて良かった…
古典に触れている時、いつもしみじみと思うのです。

 

by 工藤さやこ

2019年10月22日